最近

最近、断捨離をしている。

 

最初はただ単純にメルカリでお金を増やすためにやっていた節が強かったが、今はもう身の回りから物を減らすことの方が目的になりつつある。

 

Twitter(今はもうXだが)でも何かをきっかけに断捨離をしているオタクたちを目にすることが多くなってきた気がする。「自分のTLの年齢層が変化したからか」とも思っていたが、若いオタク(中学生~大学生辺り)なんかはもはやアニメグッズやVtuberグッズを昔のオタクよりは買っていないと思っている。昨今より話題になっている「所有」という概念が薄れつつあることをひしひしと感じている。

 

実際、アニメの期間限定即売会やVtuberのイベント、展覧会などに行っても大学生より上の層、もっと言えば30代前後から上の人たちがグッズ購入のメイン層になっている。(自分が行ったイベントではそうだった。)

 

昔は、所有してこそ自分のモノであるという考えが強かったが、今はもう電子データとしてスマホの中で見返すことが出来たら良いといったレベルまで所有の概念は落ちいているような世間の空気を感じる。

 

僕自身はまだ昔の概念を中途半端に引きずっているところがあるので、電子データはクラウドなどに保存するのではなく、家にある大容量HDDやPC本体。果てには持ち歩いているSSDやUSBに分けて保存しているし、本当に欲しいグッズや本なんかはとりあえず買うようにしていた。

 

そんな僕でも、題名にあるように断捨離を行っている。

 

所有物が多くなるといざというときに動けないとか、引っ越しするときの為に身軽でいたいとかの物理的メリットを考慮しているからとかではなく、モノを持っていたとしても本質的にはあまり意味がなく、虚しいと感じさせられるようなことがここ最近で立て続けにあったからだ。

 

確かにせっかくの家賃を払ってある一定のスペースを確保しているんだから、ミニマリストもしくはシンプリスト(ミニマリストほどではないレベル)的な生き方は逆にコスパが悪いという考えもわかるし、好きなモノに囲まれて幸せと感じるから、メンタルが安定するからという考えを持って生きている人たちの気持ちもわからなくもない。

 

でも、実際にどれも試した僕から言わせてみると、人間どんな生活であったとしても慣れる。

 

ミニマリスト・シンプリスト的な生活は、つまるところその生活を維持すること自体が目的になってしまうし、好きなモノに囲まれて生活したとしてもいずれは見飽きて風景の一部と化してしまう。

 

ゆえに、最近断捨離をしている僕ではあるが、モノには意味はないが生活には意味があると思っている。

 

だから断捨離がある程度終われば、生活をする部屋に目的意識を持たせようと思っている。非常に分かりやすい例で言えば、最近話題になっていたヤリ部屋見たいなモノだ。

 

僕は将来的には、精神的に僕自身に合理的な部屋を作る予定だ。その際には、またモノを買うかもしれないが、それには意味があると思っている。

 

逆説的に言えば、ミニマリストの生活自体に意味を持たせている人(youtuberなど)やモノ自体を集めて自分の部屋に飾るのが生きがいの人(コレクターなど)は、その行為自体が意味のあるものであり、自分自身の安寧につながっているであろうことは明白なので、僕が口に出すつもりはない。

 

なんだかブログを書くのは初めてなせいなのかよくわからない文章を羅列してしまったが、ここまで僕の走り書きを読んでくれた人には、感謝の意を示すとともに、最近僕がはまっている曲を載せておくので是非聴いてほしい。

 

そりでは。

 

 

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(コンドル地面に食い込んどる\yeah!/」←yeah!なシチュエーションではないけど楽しそうなのでOK)